プログラムを組める人というのは決して頭のいい人とか頭の回転が速い人とイコールではない。
頭が良くて回転も早くてもろくなもん組めない人結構見てきたし、俺は自分の頭の回転が早くはないと自覚している。
頭の回転が速い人と頭のいい人ってのもまた違う。
回転が速い人は、そう見せてるだけで、論理的思考が欠落してるのに気がつかなかったり、自分で言ってることが間違いだと思わなかったり、妙な自信を持ってたりする。だから、人の言うことを全否定して、自分の方が論理的だと言いたがる。
論理とは肯定も否定もできないのだ。
自分の組むプログラムだって、限定した条件下でしか正しく動かない。
だから改修があれば途端に自分の組んだプログラムは戦犯呼ばわりされかねない。
現時点では論理的に正しいかも知れないが一瞬後には時代遅れになるかもしれない事を理解しながら議論するべきだ。
だから、自分は話していることを論理的だとは決して言わない。
そんな恥ずかしいこと言えるわけがない。
議論とは、論理戦で俺の勝ちとか論破したとかそう言うことではない。
考え方が変わるのは恥ずかしいことではない。
相手の話を認め、議論の先に何があるのか楽しむべきだ。
最初に戻るが、頭のいい人と言うのは、すでにそう言う議論の先が見えていて、余計なことを言わず、議論が白熱して、何か結論めいたことが出て来そうな時に顔を出して、あ、それ、こう言うことだと思うんだよねって最後にちょろっと答えを述べて、議論してた全員の頭を真っ白にして帰って行く人です。
プログラムを組める人と言うのは、多分、細かいことが好きな人かな、、、頭とか関係なく、性格が重要なんだと思う。
だから自分はプログラマは伝統職人に近いと思ってる。
果てしない研究と応用の連続だけど、基本、それが好きだからやってる。
まさに職人だと思います。
あと、ツイッターでよくみるやりとりだけど、「だから最初からそう言ってます」「それは知ってます。だから〜」と言う発言ね、これらの根底にあるのは、「俺の言ってることが最初から正しい」なので、これは相当稚拙で恥ずかしいからやめた方がいい。
議論と持論の張り合いは、全く中身が違うんだよ
追加しとこう、僕は博士なんですよ、あなたより頭いいんですよっていう博士に多く出会います。
他にも、僕は公務員なんですよとか、僕は教員なんですよ、みたいなね?
だからみなさん頭いいんですかね?
そういう発言は、ただの自己顕示欲にしか見えませんよ?