
こんにちは〜♪ しおりちゃんです♡
しおりちゃんは、田んぼ生まれ田んぼ育ちです。
いまはほぼ都心に住みつつ、なるべく“ふとんの上”にいるように心がけています🛏️
しおりちゃんは、保育士だったり、ネイリストだったり、ニートだったり、アーティストだったりします♡
ぜんぶしおりちゃんです♡
わたしは、図画工作をすてきだと思っています🎶
そして、幼稚でダサいとされてるものがかわいくてだいすきです💖
大学は中退だけど、東京の某美術大学にいたこともあります。
たんぼばかり描いてるけど、実は15歳の頃にはもうたんぼだらけの実家には住んでいません。笑
最近は、こどもたちと関わったりしよっかなって、表現もだけど、福祉や心理学とか脳科学のことも同時に勉強してます。
「社会の役に立ちながら、ふとんの上で絵を描いたりニートする」
ちょっと矛盾したような、理想の中で、トラウマ♡サバイバル中〜⭐︎
ば らば ら な きお くや
ちぎ れた きも ちを
ぱっちわ〜くみたいに
つぎはぎしています。
そうしたら、きっとどこまでもつづくたんぼみたいに気の遠くなるくらいの広がる景色が見えて、それはふわってした空気を生むんじゃないかって思って「たんぼわ〜るど」っていうイマジナリーワールドからつむぎなおしています。
過去は変えられないけれど、過去の意味は変えられるからです。
痛みも苦しみもみんな同列に扱って、つぎはぎしてかわいくすればいいって思っています♪
そしたらわたしは地に足をつけて、おいしい空気がすえるんじゃないかって思っています。
しおりちゃんは、記憶や感情を点として、全部をひとつのたんぼみたいな地平でとらえています♡
メディアもメディウムも生き方もバラバラのようで、いずれは全部つながっちゃうんです。
それはきっと田んぼなんです。
わたしがやりたいのは「存在の肯定」です♡
【2022年】
🍀「ニューカマー展 SHIORICHAN×かにわに」Art Gallery Shirokane 6c/東京
⛈「ゆうだち」新宿眼科画廊/東京
🌈「Shirokane June」Art Gallery Shirokane 6c/東京
🍎 「petite展1」Art Gallery Shirokane 6c/東京
❄️「Shirokane December」 Art Gallery Shirokane 6c/東京
【2023年】
👾「サワダモコ×SHIORICHAN 2人展 わすれものをさがしに」Art Gallery Shirokane 6c/東京
🍉「SUMMER VIDE 」CONTEMPORARY TOKYO×YOD/北京
🌻「ART SESSION」銀座蔦屋書店/東京
(一緒に展示させていただいて、どうもありがとうございました。)
【2022年】
🍇「Kiaf PLUS」CONTEMPORARY TOKYO/韓国
🍐「ART TAIPEI」CONTEMPORARY TOKYO/台湾
【2023年】
🍀「Study : 大阪関西国際芸術祭」CONTEMPORARY TOKYO/大阪
🌷 「ART CENTRAL」CONTEMPORARY TOKYO/香港
🍭「JINGART」
CONTEMPORARY TOKYO/北京
🍰 「ART TAIPEI」CONTEMPORARY TOKYO/台湾
🎀「上海021」CONTEMPORARY TOKYO/上海
🍮 「Art Jakarta」CONTEMPORARY TOKYO/インドネシア
⭐️「MOODAN ART」CONTEMPORARY TOKYO/中国
【2024】
🌸 D-art,ART」CONTEMPORARY TOKYO/福岡
🌱 D-art,ART」CONTEMPORARY TOKYO/札幌
わたしにとって、肩書きはなんでもよくて、目的はただひとつ。
世界を、やさしくすること♡
これは、痛みとやさしさの全部を一緒に抱えた世界をつくりたいってことです。
いまは、「やさしさ」を“感情”じゃなく“再現可能なしくみ”として設計できたらいいな〜って思ってます。
そのために、わたしは「たんぼわ〜るど」というメタファーの中で、“非現実”を正当化しながら、やさしさを社会に実装することを考えています。
(頭ょゎょゎなので勉強中です♡📚)
たぶん、たんぼわ〜るどから世界を編み直している途中だから、語る内容もコロコロ更新されるかもしれません。
語っていいのかよくわかんないけど...語ってみちゃうね...♡
(言語化苦手なの...💦)
「生きることを正当化しなくてもいい、誰も苦しまないやさしい世界になればいいのに。」
わたしは、みんながニコニコしてるやさしい世界が、だいすきです♡
存在の肯定に理由なんて本当はいらないのにどうして理由が必要なんだろうってよく頭の中がぐるぐるするんです。
わたしは聖人じゃないけれど、もう苦しみは再生産されないでほしい。
「きれいごとこそ、合理的」
実は、そうなんじゃないかって最近は考えてます。
ピラミッドみたいな上下や優劣は幻想で、本当はたんぼみたいに横ならびなんじゃないかなって。
♡きれいごとは、“システム”ではなく“関係”を前提にしてる🌟
♡長期的に見れば、いちばん低コスト✨
♡なにより、「人間性を信じる」っていうスタンスがある💞
とかそんなかんじかな?
そんなにうまくいかないからどうしたらいいんだろう。
「世界全体が幸福にならなければ、個人の幸福はあり得ない」
これは、東北のほぼ同郷の宮沢賢治くんの言葉です。
これ、わたしけっこう信じたいって思っています。
なにそれ、けんじくんやさしい〜😭って思ったし、生きていたらそう思うことばっかりだったからです。
わたしの将来の夢は──
「愛の概念になること」です♡
作品や社会の在り方っていう“かたち”を借りて、やがて空気のように、ふわ〜っと世界に残ることができたらうれしい。
わたしは、やさしさの実験体でもありたいって思ってるんです🧪🌾
(でも、自己犠牲はしないので、自己犠牲はしないモルモット🐹宣言✌️)
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「やさしい革命、はじまるよ〜♡」
ときどきアプデすると思うけど、そのたびにまたごあいさつするね。
手探りで拙いかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします🌼
(意味不明で壮大風でびっくりさせちゃったらごめんね💦)
(空気みたいでいたいし、あんまり目立つのは心臓がばくばくするから好きじゃないんです。)
(でも50年くらいはつづける予定♡)
(だから、本気です♡)
🌺JNECネイリスト技能検定
💠JNECジェルネイル技能検定
🐬保育士資格
🌾河北美術展 文部科学省大臣賞(高校生くらい)
「存在とやさしさの非現実的保障」
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【前文】
わたしたちは、ふとんの上から想像とやさしさをもって、この世界の構造をやさしく再設計するために、非現実の正当性を宣言し、たんぼわ〜るどをここに創設する。
ここにいること、それ自体を、祝福とする。
【基本理念】
第一条 この世界は、誰の存在も否定されない。あなたが「いていい理由」を探す必要はない。
第二条 自己を犠牲にしてはならない。あなたが苦しまなければ保てない関係や秩序は、やさしい構造とはみなされない。
第三条 感情の波は、生きている証とみなされる。そのすべては否定されず、亡きひとの感情さえも、尊重される。
第四条 キャラクターやぬいぐるみは人格を持つ前提のもと、共に生きる仲間とみなされる。
第五条 過去を変えることはできないが、過去の意味は変えることができる。その再解釈は、あなた自身の権利であり、誰にも奪われない。
第六条 人が人を、ぬいぐるみを、キャラクターを支配してはならない。
第四条において定められた存在たちは、すべて、仲間として尊重される。
制度や評価は、誰かを上下に分けるためのものではなく、やさしさを設計するために使われるべき構造であると捉える。
たんぼわ〜るどでは、あらゆる存在がたんぼのように並列に尊重されることを最優先とする。
第七条 “疲れたらふとん”が基本原則である。回復のために休むことは、義務であり、祝福である。
心の疲れ、からだの疲れ、どちらも区別なく大切にされる。体力の回復や、十分な睡眠時間は、なによりも優先されるべきものと前提とする。
たんぼわ〜るどにおいては、休むことが「遅れ」ではなく、前提のひとつとされる。
また、寝具の指定はその限りではない。
第八条 たんぼわ〜るどは、現実とインターネットとの外交関係を結ぶ。
第九条 異世界への転生は、たんぼわ〜るどにおいては不要である。異世界は、すでにあなたのなかに存在していると仮定される。
それでもなお、異世界への転生を願う想像や憧れは、任意の自由として尊重される。
わたしたちは、内なる異世界を見つけ、ともに育てていくことを選ぶ。
また、内なる異世界は、他者の異世界と交流可能であると前提する。
第十条 誕生日は、生きていることそのものへの祝福である。
たんぼわ〜るどでは、今日を生きているということだけで、すべての人が祝われるに値する存在とみなされる。
よって、すべての日が、あなたの誕生日である。
第十一条 やさしさは、感情ではなく、設計可能な構造である。
それは再現可能であり、誰かを排除しない。ゆえに、たんぼわ〜るどは、やさしさの設計思想の集合体である。
この構造は、時代・個人・価値観に応じて常にアップデートされるべきものであり、
やさしさとは、完成された正解ではなく、共に更新していくプロセスそのものである。
よって、この🌾たんぼわ〜るどけんぽ〜🌾すらも、例外ではなく、更新される前提のもとに存在する。
第十二条 故意にお互いの尊厳を踏みにじる行為は、たんぼわ〜るどにおける重大な違反とみなす。誰かの存在価値や心の輪郭を傷つけることは、やさしさの構造を破壊する行為であり、これを強く禁ずる。尊厳の保護は、共に生きるための最低限のルールと定める。
第十三条 実在が確認できなくても、感じたものは“存在するもの”とみなされる。たんぼわ〜るどにおいては、感受された存在、想像の中の存在、見えない存在もまた、尊重される。それが、誰かにとっての支えであり、物語であり、生きる理由になるならば。
その存在は、ここにある。
第十四条
たんぼわ〜るどにおいて、「正しさ」や「優位性」のぶつかりあいは、正義のかたちをした“じゃんけん”とみなされる。
勝者も敗者も、いずれも傷ついた存在として尊重される。
わたしたちは、“じゃんけん”による勝敗で世界を動かすことを望まず、
“じゃんけん”のないやさしい構造を目指し、ここに設計する。
ただし、“じゃんけん”によって決着をつけたいという気持ちも、任意の自由として尊重される。
その思いが、誰かを傷つける行為へと変わらない限り、その存在や感情そのものが否定されることはない。
「じゃんけん」とは、現実社会における勝ち負け、序列、競争、正しさの押しつけ合い、力関係、評価制度などを象徴する、たんぼわ〜るど独自のメタファーである。
戦争、論争、いじめ、格差、排除、暴力、無意識のマウンティングなど、あらゆる“勝ち負け構造”は、「じゃんけん」として記述される。
わたしたちは、この「じゃんけん構造」から距離をとり、“やさしさの構造”へと静かに移行することを志す。
第十五条 目に見えないもの、理解できないものは、“まだ見つかっていない概念”として、ここにあるものとみなされる。
科学や思想においても、それらは「いずれ解明されうる」「名づけられうる」存在として、可能性を与えられる。
わたしたちは、まだ知られていないものに対しても、否定や排除ではなく、やさしい余白と好奇心で向き合う。
名づけられていないものの権利を確保しておくことを、前提とする。
第十六条(いのちと食)/保留条約
わたしたちは、他のいのちをいただくことで生きている。
たんぼわ〜るどでは、食べることを暴力ではなく、いのちの連なりとして受け取るとする。
共感によって葛藤が生まれることもまた、やさしさの一部である。
選ばれたいのち、選ばれなかったいのち、どちらにも敬意を払い、矛盾のなかで共に生きることを、ここに肯定する。
よって、この条約は「保留」の状態とする。
第十七条(教祖信仰の制限)
たんぼわ〜るどにおいては、個人の人格を「教祖」として崇拝することを推奨しない。
やさしさの構造は、誰か一人の所有物ではなく、共に育て、更新し続ける思想体である。わたしたちは、発信者をリスペクトする自由を保障しつつも、その存在を唯一の正しさや判断基準にしないことを、たんぼわ〜るどの精神とする。
信仰の対象は、あくまで“ここにいていいよ♡わたしもここにいるよ♡”そのものであり、誰かを“上”に置かないことを、じゃんけん構造からの回避策とする。
でも、必要なら自由にしてくださいって思ってる。
わたしはアートに救われてきたしなければ死んじゃってた。
でも、福祉だってなければもっととっくに死んじゃってた。
わたしは、ネイルも保育士の仕事もだいすき。現代アートも工作もだいすき。今は当事者だけど、支援者にもなりたいなら大学に行って資格がほしい。どっちが上か下かなんてない。全部同列に思ってる。
ただ、わたしは、本当に生き延びられる形で誰かが死んじゃわないようにしたい。
死んじゃうにしても敬意を払いたい。
わたしはしなくてすんでいるけど、そこに至る過程もわかる部分がある。
少なくとも過去のしおりちゃんは知っている。わたしはだから苦しかったしおりちゃんを忘れたくない。
でもやっぱり、死んじゃわずに済んだ人もきっとたくさんいただろうなって。
わたしは、過敏な頭と恵まれてる平和ボケを生かしてなにかできないかなって考えてる。
病気♡は治療したい。何も知らないから勉強がしたい。絵は描きたい。でも、それどころじゃないかもしれない。ちゃんと社会の役に立ちたい。でも、働きたくない。本当は、ずっとふとんの上にいたい。本当は全部だれかがやってほしい。誰もいじわるしない社会になってほしい。戦争とかしないでほしい。災害とかも起きないでほしい。
わたしは聖人じゃないし、偽善だしこれはきれいごとなんです。
なんにもできないにしても、できることをしたい。
誰も苦しくない誰もが肯定されるやさしい世界がわたしはいちばん素敵だと思う。
誰もが存在を否定される理由は絶対にどこにもないんです。これだけは信じています。
これがわたしの見たい世界なのかもしれません。