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恋楓🍁🐓🦍十三星座観測者♐✨🔭
コカ・コーラの付喪神になりたい恋楓です 如月シンタローと山姥切長義/クロシンと般ちょぎしんどい腐女子 アイコンすぐ変える フォロー時ツイプロ必読 マシュマロ→ https://t.co/FfLHFMQvax
カゲプロに関する特殊解釈

まず、私はカゲロウプロジェクトにおいて確かな解釈を持っているのは楽曲のみです。アニメ、漫画、小説においては(私視点)解釈違いの多い二次創作というスタンスを取っておりますことご承知ください。

如月シンタローについての解釈

・苦しいこと悲しいことを独りで抱え込んで、挙句壊れるタイプの人間

・お人好しすぎて自己犠牲に誰かを助ける。自分の口では自分は薄情だと言うが、お人好しさは行動で現れる

・人に心を開きにくいが、開いたら依存してしまう

・数え切れないほどのループの記憶はほぼ記録として覚えていて、現世の記憶と混合することはほとんどない。だけどトラウマになりうるような出来事などは今と混合してしまうことがある

・自分の頭の良さを喜んだことはなかった。化け物じみた聡明さは友人ひとり助けることも出来なかったから

・冴える蛇がループを繰り返した理由が「生きたかった」という純粋な理由だったため、仕方なかったとはいえ自我を消しヒヨリの命の代わりにしたのを後悔している。生きたいから殺すという行動を冴える蛇は繰り返したが、最後の最後に自分たちも冴える蛇の自我を殺したことで己も同罪であり、冴える蛇を許すことはできなくても責めることは出来ないと思っている。

焼き付ける蛇についての解釈

・漫画でのマリーがアヤノの命を使って蛇にしたという設定ガン無視(理由は後述)

・どこかのループでマリーがシンタローに蛇という器を作った。その時点ではまだ焼き付けるという能力は有していない。何度も何度もループする度にシンタローの聡明な頭脳と同調し、シンタローに適合する焼き付ける蛇へと成り得た

・つまり焼き付ける蛇は器はマリーが、能力はシンタロー自身が作りあげたものである

・アヤノの顔、セーラー服の姿で頬に鱗、瞳が赤く、マフラーは巻いていない。アヤノの姿を模しているのはシンタローの数え切れない記憶の中でシンタローの精神に一番傷をつけたのがアヤノの自殺だから。シンタローの精神と繋がっている焼き付ける蛇は、一番傷をつけたアヤノに影響されてその姿になった。父親もループの度に死んでいるけどアヤノなのは、アヤノは声をかけられたはずだから、助けられたかもしれなかったからという自責の念があったから

父親の死亡はシンタローはどうしようもなかった

・一人称は「僕」、口調は〜だろう、とか〜だからさ、とかアヤノとは違うもの

冴える蛇について

・私が冴える蛇と呼ぶときはケンジロウ、コノハ、ヒビヤ、誰に取り憑いた時にでも適応する。クロハと呼ぶときはコノハに取り憑いたときのみ

・アザミを陥れメカクシ団の悲劇を引き起こし続けたのは、「アザミが最初に願ったことを忘れ自分のことを忘れて冴える蛇としての存在意義を失くし自我が消える(死ぬ)ことを恐れたから」「ただただ生きたかった」から

そもそも蛇についての解釈

・死んでカゲロウデイズに取り込まれた人間の願いに適応する能力を持つ蛇がその人間の命の代わりとなる

例)キドは幼少期消えたかった→隠す能力

遥は病気を治して強い体になりたかった→

醒ます能力 など

・蛇は命の代わりなので抜かれたら当然能力者はそのまま死ぬ。マリーに蛇が返還されている時点でその蛇の所有者だった人間は死亡

・アザミの造った蛇はループとともに同じように時を戻しアザミに返還されているが、マリーが器を作りシンタローが能力を作るという特殊な焼き付ける蛇はループの時もシンタローの魂から離れることなく全てを焼き付けてループをシンタローと共に繰り返した(という無理やり設定)

・↑と併せて、メカクシ団に憑いている蛇は『生命に憑いている』もので、シンタローに憑いている蛇は『魂に憑いている』という同じようで少し違う憑き方をしている

・マリーの合わせる能力は厳密には他の蛇とは違い、どちらかというと血による受け継がれた能力。なのでマリーの持つ蛇は「合わせる蛇」ではなく「合体せる蛇」。合わせる蛇は存在しないと解釈している

アザミ、シオン、マリーの血族について

・結論から言うと、この血族はメデューサと類似した能力と蛇を持った別の存在

・アザミはそもそも神話のメデューサを知っていると生まれからして全く違うので、蛇と目を合わせた相手を石にする能力が共通しているだけである

・アザミは自分の存在を探して旅をしていたので、メデューサという答えを得たなら早くに旅を終えてツキヒコと出会うことはなかったと思われる。だからアザミはメデューサのことを知らないまま終わらない世界に消えた。だけどマリーやシオンは自分たちのことをメデューサと思っているので、恐らくシオンを見たマリーの父親が能力と目を知ってメデューサと誤認してシオンたちに伝えた

・そもそもメデューサは隠すやら盗むのような能力は持たない。石にする能力だけ

・なので、アザミはメデューサと共通点を持つ、全く別の存在。合わせる能力のみ遺伝でシオンやマリーに受け継がれることとなる

漫画などの設定をガン無視している理由

カゲロウプロジェクトの展開の流れがあまりにもゆっくりで、漫画や小説で公式設定が出来る前に楽曲を聞いての解釈や、アニメでの不鮮明な情報から作った解釈が私の中で公式となってしまっているからです。

この点について公式を責めることは出来ませんが、私は楽曲以外のメディアの設定を全て受け入れる、ということは出来ません。

それから、マリーがアヤノの命を使って焼き付ける蛇を作ったということについては設定がおかしいなと思ったからです。アヤノは既に死んで元々の命はなく、あるのは掛ける蛇です。なのにない命をどう蛇に変えるのでしょうか。蛇を別の蛇に変えるのならば、次のループで掛ける蛇はどうなる…?

マリーによってカゲロウデイズ化されているこの世界はマリーの合体せる能力によって繰り返している(時間を巻き戻している)ため、ループしたならメカクシ団の能力がアザミの元に還元しているように、焼き付ける蛇も創造主の元に戻るはず→焼き付けるはシンタローに憑いたままというのもおかしい、更にその焼き付けるがアヤノの命だと言うのなら巻き戻った世界で焼き付けるが存在しているなら、アヤノがシンタローの友人として存在しているのはアヤノの命が分裂していることになる。焼き付ける蛇が存在し続けるならアヤノは繰り返した先では消滅するのでは……?

などと色々おかしいなと思いました。

二次創作などするときは、「小説のここは納得出来るな」「漫画のこのシーンは矛盾してないな」という点に基準を置いて、自分が受け入れられるシーンを抜き出して設定を使っております。カゲロウデイズという物語の終わり方はアニメ「メカクシティアクターズ」のラストを基準にしていますが、ラストの冴える蛇を倒してヒヨリの命の代わりにするシーンのみです。その他は受け入れられておりません。

なんで命の代わりの蛇抜かれてからマリーに呼び掛けてるんですか、あの人たち。蛇抜かれたら死ぬから冴える蛇倒しに行ったはずなんですが。

あと完全に私個人の不満なのですが、カゲロウデイズの漫画も小説も同人誌ではないんですよ。なのに商品として売り出している物語を『終わらせずに1に戻してやりなおそうエンド』にしているのが納得出来ません。このエンドで満足している人にも納得出来ません。

私は冴える蛇が好きです。ですが、物語は決着を付けてこそ堂々完結を銘打つのです。

なのにカゲロウデイズは両作とも決着を持ち越しにして結局冴える蛇の思う壺のまま完結としている、これが私は受け入れられません。これが私が漫画と小説は解釈違いの多い二次創作と言っている理由です。

アニメは当時からとても酷評でしたが、私個人の観点では、締め方はアニメが一番まともな締め方をしています。敵を倒して終わりという当たり前のことですが。

長年、「どう決着をつけるのだろう」「どんなハッピーエンドを迎えるのだろう」と完結を待ち侘びていた読者も少なくないと思います。なのに待っていたのは虐殺ループエンド。

他にも小説や漫画を受け入れがたい理由は山ほどあるのですがこれが大きな理由です。

※閲覧注意 ただの愚痴

私の解釈が入った上での愚痴なので閲覧注意

・漫画版。キャラクターが薄情すぎる。孤児院組からすればマリーも同じ境遇で、守りたい仲間なのは分かる。だけど、何故自分たちの閉じてしまった心を優しく開いて家族になってくれたアヤノを見限れるのだろうか。アヤノからすれば、突然両親をマリーに関することで亡くし、能力とアザミの記憶を植え付けられ元凶がすぐそこにいる。ならば殺意を覚えても仕方がないことなのに、カノたちを守るために放った言葉は暴力と見限りで刃となって返ってくる。このシーンで私は漫画版の孤児院組が嫌いになりました。

そしてシンタロー。一番好感度を下げたくなかったのに下がってしまった。キド、モモ、エネと次々に死んでいってメカクシ団と手を組むのは分かる。だけどその時の言葉が最低過ぎた。

「妹のことは今は考えねぇ」

これだけは、絶対に言ってはいけなかった。

復讐心に駆られてるときの回想で「俺がお前を___」と最後は書かれてませんでしたが、「俺がお前を守る」と言ったのでしょう。だけど守れなかった。

この時シンタローがメカクシ団と手を組むために連ねる理由は、「妹の敵討ちがしたい。そしてあんたたちを守りたい。だから手を貸してくれ、俺も手を貸すから」などではなかったのではないでしょうか。妹を守れなかったから、誰かを守りたいのは分かるけど、復讐心を、モモのことを考えないのだけは絶対に駄目だった。

とても、モモに対して薄情と思ってしまったシーンでした。恐らくこのシーンは解釈によるので私に賛同できない人の方が多いと思います。

それでも、私は絶対に「今は妹のことは考えねぇ」のシーンだけは許せないです。

・小説版。途中までは良かったのにと落胆しました。漫画版は冴える蛇を倒す時にシンタローがメカクシ団のために命をかけるにはあまりにも絆がありませんでした。だけど小説版はちゃんと絆を深めていく描写や目の能力の謎を解いていくシーンがしっかりあって、一番いい状況で冴える蛇を倒して物語を完結させることができたと思うのです。何故しなかったのか……。

漫画版の良いところが焼き付ける蛇の誕生ならば、小説版の良いところは絆を深めて謎を解いていったところだと思います。

理想としては漫画版で焼き付ける蛇が生まれてから小説版でそれをうまく繋げて冴える蛇を倒す、だったと思います。(小説版の方が先に完結してしまったから出来なかったのか……?)

隠すの能力が存在を薄くするだけじゃないだとか、アザミがマリーに干渉するとかいっぱい良いところあったのに、結局冴える蛇を倒せなくてループ。なんでやねん。

あと、蛇持ちが死亡することで蛇は女王の元に還るから冴えるは虐殺を繰り返した(マリーを絶望させる理由もあるけど)のに、小説版では既に焼き付ける蛇を所有しているような示唆があったのに、シンタロー死亡の時点で焼き付ける蛇が女王のところに還ったような表現はない。大まかに設定作りすぎてシナリオ雑すぎてはないか……?